当ホールの情報発信ボランティアによるレポートです。イベントの雰囲気や感想を発信する活動をしています。
本日のプログラムは、文楽という伝統芸能を、私のような初心者に“触れて”もらおうという趣旨のようだ。だから、会場は、観客席50人位のこじんまりとした「さざなみホール」である。そして私の回(1日2回公演の1回目)は、未就学児も入場可能ということ。きっとわかりやすく説明してくれるのだろうなと、期待して席に着く。文楽といっても、「乙女(おとめ)文楽」といい、文字通り女性だけの文楽である。「90年くらい前に、大阪で生まれたものです」と、始めに演者である「ひとみ座」の女性が説明してくれた。そもそも、文楽とは人形浄瑠璃のことを指すらしい。大きな人形を操りながら物語を展開するという人形劇で、昔、NHKで放映されていた『ひょっこりひょうたん島』のようなものだと言う。我々世代には辻村ジュサブローの『新八犬伝』の方がピンとくる。「文楽は、一つの人形を3人で操りますが、乙女文楽は1人で操るのが特徴です」ということで、いよいよ舞台がスタートした。演目は歌舞伎、文楽の人気曲だそうだ。奈良吉野の山々に満開の桜が咲き乱れる書割をバックに、恋人の源義経を追って旅する静御前と、白ギツネが化けた従者佐藤忠信との“道行(みちゆき)”の物語を、約30分の場面に切り取って見せてくれた。太夫(女性)が三味線をバックに物語る声が流れる中で、鼓を持った赤い着物姿の静御前と、アゴのがっしりとした勇壮な武将それぞれの人形を、裃(かみしも)をつけた遣い手が演じ、舞う。人形の顔、両手、両足が遣い手とつながっており、動きが同調する仕掛けになっている。静御前の鼓を叩く手の柔らかな動き、恥じらう首の傾け方など、女性特有のしぐさが見事に人形で表現される。一方、佐藤忠信の見栄の切り方などは、まさしく益荒男の振る舞いそのもの。表情が変わらない人形に命を吹き込む遣い手の技量に、素直に感動した。遣い手の顔が、それぞれお姫様と武将の顔になりきっていたのも興味深い。後半の30分は、人形の仕組みの説明と、“体験”コーナー。人形は「胴金(どうがね)式」といい、大きな金属の背骨が入っている。手の関節は女の人形は3つ(男は1つ)あるため、動きが優美になるという。なるほど。そして、観客の男女に実際に人形を“身に付けて”動いてもらう。付けるまでの時間もかかるし、いざ動かすのも大変そう。体験された方々、ありがとう、そしてお疲れ様でした。
ボランティアライター 三浦俊哉
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香漂うような活字がつらつらと並ぶ『義経千本桜』道行初音旅。人形浄瑠璃が初めての人には、敷居が高く思われそうだが、乙女文楽によるこの公演は小さな子ども達でも遠慮なく楽しめるという。ということは、大人の未体験者でも楽しめるという事だ。1部は演劇、2部は人形解説と体験ができる構成になっており、人形を操る体験を子供達にもさせくれるというなかなかな巡り会えない企画である。待ち遠しく時間を過ごす何組かの親子連れが目に留まる。人形劇を楽しみに来ている感覚だろうが、その人形劇が浄瑠璃。こんなに幼いころから日本の伝統芸能に触れられるとはなんとも幸せなことである。一部の演劇が幕を開け、静御前が忠信をお供に義経を探して旅に出る話が始まる。乙女文楽は女性が一人で人形一体を操る。女性のしなやかな動きはそのまま人形に伝わり、命の吹き込まれた人形たちは上品で華やかな動きを作り出す。静御前は可憐ではかなさを感じるぐらいの華奢な小顔。忠信は顔も体も大きく、ぎょろっとしている目に力強さを感じ、二人はとても対照的である。男女の動きの違いも、それぞれの喜びもせつなさも首、手首、足の動きで表現される。見所は兜の前で二人が舞を踊るシーン。桜がはらはらと散り舞うような曲節にあわせ二人は自分の思いを胸に連れ舞う。表情に反映されない分、気持ちが舞に現れる。そのせつない舞は、二人の旅路の行く末を願わずにはいられない。名残惜しみながら、1部が終了した。2部の人形解説では人形の仕組みを知りつつ、実際人形を動かしてみる体験に入る。 大人は静御前、忠信、子どもはキツネに加えて二匹のお猿人形を操る体験を。子ども達は初対面の友達に会ったかのように人形にそっと接する。好奇心旺盛な子どもの瞳と、ドキドキ感がこちらにも伝わりつつも、いつのまにか微笑ましい舞台と変わっていった。舞台が全て終わり、外に出ると、太陽が強い日差しを放っている。そんな太陽とうらはらに雪のように白い肌で限りなくクールにふるまう静御前が脳裏をよぎる。夏の暑い日にこそ静御前に会いに行ってもいいかもしれない。
ボランティアライター 山上真琴
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色鮮やかな衣装に身を包んだ人形たちが躍動する「文楽」。江戸時代初期に誕生したといわれ、400年の歴史を持つ、日本の伝統芸能であり、無形文化遺産である。今日の演目は、文楽の三大名作と呼ばれるうちの一つ、『義経千本桜』の中の四段目、「道行初音旅」。平安時代末期の源平の戦で源氏を勝利に導いた源義経は、その功績にもかかわらず頼朝に追われ都を去る。そんな義経を追って、妻の静と供の佐藤忠信が吉野山に到着するまでを描いた話だ。気温30度を超える暑い真夏の午後でも、空調のきいた快適な会場。そこは、どちらかというと年配の方でほぼ満員だった。日本が世界に誇る伝統芸能を楽しもうという期待感が、会場内で静かに燃えている感じがした。そして開演。鮮やかに花びらが舞うような、桜満開の吉野山を背景に、静は女性らしく、柔らかく、かわいらしく。忠信は男性らしく、豪快に、力強く。動き、踊り、感情を見せてくれる人形たちは、本当に生きているよう。そう、無機質なCGとは違い、本当に命が吹き込まれているように見えるのだ!人形の背後には、その手と手、足と足、そして頭と頭を人形とつなぎ、一心不乱に人形を操る「人形遣い」の方の姿が、もちろんあるのだが、不思議なもので人形遣いの姿は、私があえて意識して、「見よう」と思わない限り私の目には入らず、目に入るのは色鮮やかに華やかに舞う、静と忠信のみ。三味線の音色にのせた語りさえ、私の耳には入ってこず、私はただひたすら人形たちの華麗で繊細な動きに魅了された。あなたは想像できるだろうか?400年という時の長さを。我々人間にとっては、「永遠」とも思えるような時間の中で、人は生まれ、子を産み、そして死んでいく。「歴史」という長い時間の枠で見れば、瞬く間ともいえる有限の時間の中で、人々がその子孫に託し、伝えてきた思い。それこそが、「文化」だと私は思う。400年にわたり、我々日本人の心をとらえ、癒し、感動させる「文化」である「文楽」。次回また公演があれば、是非観覧されることを、あなたにもお勧めする。そこであなたが目にし、体験するであろう、人形たちが舞い踊る華麗な姿。それこそが400年の時を超えた人の思いだと、私は思うから。
ボランティアライター 浅野修弘
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文楽と聞いて真っ先に思い出したのは、大阪の橋下元市長が「つまらない」、と発言、果ては補助金打ち切りを言い出して騒ぎになったことだった。そこまでやるとは一体どんなものなのか?ぜひ鑑賞してみたくなった。しかも『乙女文楽』、本家の『文楽』とどう違うのか?宝塚風なのか?知らないことをどっさり抱えたまま、初めての文楽体験となった。こじんまりとしたさざなみホール、舞台が近い。最初にひとみ座乙女文楽についての説明があり、普通の『文楽』は3人で人形を操るが、『乙女文楽』は女性が1人で操るとのこと。見どころの解説もしてくれて、さあ、いよいよ舞台が始まる。幕が上がると舞台全面に華やかな桜の吉野山の風景が広がって、観客の気持ちもぱっと華やぐ。そこへ出てくる静御前、人形遣いも黒子ではなく、薄紫の裃をつけ、随分と目立つ気がする。ところが浄瑠璃に合わせて静が舞い始めると、その手先の細やかな動き、足さばきの自然さに次第に目を奪われて、全く気にならなくなっていく。歌舞伎さながらに舞台上で衣装の早変わりまでやってのけるのには驚いた。続いて登場する佐藤忠信に化けた子狐は、堂々たる偉丈夫ぶり、姫人形との演技の違いが面白い。この二対が金銀の扇を操り、それを一方が「はっ」、と投げかけると、相手は「はっし」と受け取ってみせる。思わずお見事、と手を打ってしまった。第二部では人形の仕組みを詳しく解説、さらに観客の中から希望者を募って、人形を実際に遣わせてくれた。猿や狐のお人形もあって、それぞれ参加した人たちは、簡単な挨拶をさせてみたり大いに楽しんだ。これなら子どもたちも夢中になるだろう。次回は私もズボンをはいて来て、必ず人形体験をさせてもらおう。人形と人形遣いの一体感が面白い『乙女文楽』、世界遺産になっている男性の演じる本家の『文楽』の方も、機会を見つけてぜひ見てみたいと思った。
ボランティアライター 不破理江