当ホールの情報発信ボランティアによるレポートです。イベントの雰囲気や感想を発信する活動をしています。
逗子海岸に降りると、春の日差しが波を光らせている。砂浜から文化プラザまで歩いて10分。クラシックの中でもとくに好きな室内楽。しかも日本のトッププレヤーが集う木管五重奏だ。はやる気持ちで歩いていく。
なぎざホールには、シックでドレッシーな装いの女性などがいて、気のせいかフランス宮廷の一室に迷い込んだような香りが漂っている。
誰が選んだのか、天の配剤か、個性的音色の楽器が集う木管五重奏。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンがそれぞれ自分の魅力を主張しながらも他の楽器との対話(演奏)を自然にやっている。これは本来、演奏者にとっては大変難しいことなのだろうが。
イベールの≪木管五重奏のための3つの小品≫は軽妙洒脱。‘鑑賞、聴く、聞く’とう言葉で楽しむのではないようだ。あえて言えばおいしいワインを‘味わう’だろうか。ミヨーの≪ルネ王の暖炉≫作品205は元々映画音楽のために作られたそうだ。
プログラムノートには映画の場面割が曲に合せて書いてあり、演奏により興味がそそられる。奏者の所作は一段と華麗になっているように見え、美しい音色が客席に届いてくる。
前日、版画家・五島三子男氏が制作した版画「DIALOG」を美術館でみた。この作品は版画を通して自然と人間が対話しているのがテーマだそうだ。同氏は作品を制作する際にBGMとしてドビッシーに影響を与えたフランスの作曲家エリック・サティの曲を使っているそうだ。木管五重奏も各楽器どうしの演奏(対話)は、美しい絵画かもしれない。
素敵な「室内楽」。大好きだがまだ少し敷居が高い。かって学部のゼミ(経営)には3人の女性がいた。今では誰も使わない言葉だが「深窓のご令嬢」たちだ。趣味は能、日舞、ゴルフとさまざまだが、みんなが「フルート」を始めとして木管楽器を習っていた。だからかもしれないが、室内楽は心地よいが、少し敷居が高く感じて自分の背筋がチョット伸びるのかもしれない。
学生の頃は、東京にあるコンサートホールの天井に近い5階席からステージで演奏する人たちが小さく見える距離で鑑賞することが多かった。社会人になってからは転勤などでゆっくり楽しむことができなかった。今、住んでいる逗子では気楽にホール行け、演奏者の息遣いや所作を身近に感じることはありがたいことだ。今後、何回も公演してもらいたいものだ。
ボランティアライター 海原弘之
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ホールは、早春に賦し、且つ吟行最中のように暖かな思い溢れる演奏会。
開演前にホール・ギャラリーでのイベント「つるしびな―3・11をわすれない―」に参加して主催者スタッフとたくさん対話をしましたことが、私には、当公演会の意義ある入り口となりました。
会場は、まるでフランス・プロヴァンス地方小村の屋敷で暖炉前の晩餐会の様相。繊細な音色のオードブルからデザートは舞踏曲といった感じです。壇上演奏者は、端正で凛々しく、手にする木管楽器の色合いが、とても美しい。そして木管五重奏楽曲は、パステルカラーの色調は無段階のグラデーションを帯び、ホール全体を大きな風景画にさせる役割となりました。
私は、五種類の木管楽器を学びたい志で来場しました。舞台上の演奏家は、楽器共々恰好良く、私が、体感、体得したものは、楽器と演奏家の個性そしてハーモニーによるサウンドです。古いフランスの楽曲を逗子のプラザ・ホールで楽しみました。新しいとも感じられた「ホールで出会い触れ合えた音楽」は、パステル・クレヨンで描かれたカラフルな音符の踊りが見え隠れする雰囲気がいっぱい。木管楽器の音色は、演奏家の呼吸に合わせて漂い。そのさまは「小川のせせらぎ」。場内の皆が、水面下のお魚のように泳いでいました。そのように感じられた演奏会でした。
舞台上のトークは、5人の演奏家の公私にわたり、1人の人としての話題にも入り、プログラム説明は物語性と機知に富み楽し受かった。楽器の対話だけでは終わらない木管アンサンブルの境地を演奏家どうしのインタビュー式の紹介がとても素朴で素敵なので、私は「ぐいぐい」と「初体験の木管五重奏」の世界へ誘われました。森の中へ入るが如くにドキドキして楽しい。
公演の終わり感じたこと。淡い色調のブーケを頂いたような「有り難い想い」と「周りの全てが、大好きなパステル調の絵画」のように見えるくらい、木管五重奏の効果」は、大きなものでした。その意味するところは、アンサンブル、木管五重奏がかもしだす安心と平和。つまり人の連携と対話の慶び。
それが、とても3・11の公演に相応しい「暖かく優しいサウンド」あるプログラムとなりました。3・11の課題は、皆がわすれないこと。そしてホールは、カラフルな音符に包まれた幸せな余韻帯びるブーケのお持ち帰りのある春の晩さん会でした。主催者・ホールの皆様へ謝意を表してレポートを終わります。ありがとうございました。
ボランティアライター 長坂祐司
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午後2時ぴったり、赤いドレスの女性が目に飛び込んできてはっとした。交響楽団の首席奏者による演奏と聞き、黒いドレスとタキシード姿の方たちしか思い浮かべていなかったのだ。華やかに登場したフルートの倉田氏に続き、出演者が半円状に並んだ五脚の椅子につくと、すぐに五重奏《クープランの墓》が始まった。時折り楽譜から視線を外してアイコンタクトを取る様子に、日頃から楽団で一緒の息の合ったメンバーだということが伺えた。作曲された年代や時代背景など、楽曲解説は主にオーボエの辻氏が担い進行していった。
オーケストラの中で木管は弦に比べると待機時間が長いイメージだ。そんな木管の方たちが休み無く吹き続ける姿が新鮮だった。クラリネットの金子氏が身体全体をかなり動かしながら演奏されていたのが印象的で、今度オケを聴くときは木管に注目してみようと思った。五重奏につづいて各楽器を紹介しながらのソロ演奏もあり、それぞれの音色も楽しめた。ホルンとファゴットは独奏を聴く機会がなかなか無いので、音だけでなく楽器の持ち方なども興味深く見た。木管の音色を聴いていると、自然に情景が浮かんでくる。全く違う楽器ならではのハーモニーのためか、五重奏になると、より豊かにその光景が浮かんだ。特に《ルネ王の暖炉》はフランスの音楽ということもあるかもしれないが、バレエ音楽のように劇的だった。2分前後の短い曲が7曲組まれたものなのだが、初めて聴いても、“誰かがやってくる感じ”とか“人がたくさんいる感じ”、“物語が展開していく感じ”がある。もともとは映画のために作られた曲らしく、とてもフォトジェニックな楽曲だった。
実はコンサートの途中で考えてしまったことがある。ホルンは金管では?…後で調べてみるとやはり金管だった。管楽器のアンサンブルが盛んだった時代にホルンと木管楽器が一緒に演奏されることが多く、その編成のまま木管五重奏と呼ばれるようになったと知った。それほど木管・金管の区別が意識されていなかったようだ。
人に紛れてホールを出ると「知らない曲ばかりだったけれど、良かったね。」そんな会話を耳にした。私も同感だった。初めて聴く曲も馴染みやすく、“木管五重奏のために書かれた作品”の魅力を存分に味わうことができたと思う。 春浅し木管の響き暖かく❀
(^_^)/『広報ずし』やhttp://www.bunka-plazahall.com/に奏者のインタビュー記事が掲載されていて、楽器を始めたきっかけや木管五重奏の魅力が語られています。
ボランティアライター 深谷香
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前から楽しみにしていた読響アンサンブルの木管五重奏だ。春本番を思わせる天気にも誘われて、颯爽となぎさホールにでかけた。幸運にも前側ど真ん中の席に恵まれ上機嫌。ホールの入りは80%ほどか。観客の6~7割が女性だ。聴衆も音楽を聴きこんできた様子の人が多くいるように見受けられた。
出だしは、ラヴェルの≪クープランの墓≫。春の川が流れる感じの軽快な曲だ。たった五つの楽器でここまで深見のある音楽を奏でられるとは! そのあと、ソロの小曲が続く。演奏者は皆、読響で主席奏者を務める面々でレベルの高い音楽を披露する。
何と言っても今日の目玉は最後の題目、知る人ぞ知る平尾貴四男作曲の木管五重奏。あの時代に西洋の作曲家に引けを取らない曲を作ったのだから、今更ながらに感心。一つ一つの楽器の特徴をよく理解して全体のストーリを表現した精緻な作り。木管楽器はオーケストラの一部としては聴いていたが、それぞれ単独の演奏を聴くのはほぼ初めてと言っていい。木管は金管とくらべて、優しい、柔らかいイメージをもってきたが、この曲を聴いてみると木管でもここまで艶のある音を作れるのだなあと感心する。ちょっとしたトリビアだが、オーボエ奏者でアンサンブルリーダー格の辻功氏。平尾貴四男氏は、辻さんの母方のおじいちゃんだと!音楽一家の家系だ。
おまけのアンコールは、ガーシュインの ≪アイ・ガットリズム≫。どこかで聞いたことある曲だが、曲名は知らなかった。ジャズ風の名曲、ピアノでも、木管でもよし。幅広い演奏に適している。なんと心地よい響きだろう。
もう一曲は、アイルランドの民謡の≪ロンドンデリーの歌≫。暖かく哀愁を感じさせる名曲だ。アイルランド移民の間でも人気が高いのが理解できる。寒かった冬の終わりにふさわしく、冷え切った身体が内から温まるようだ。
天気が良すぎて外に出かけた人が多かったに違いない。こんなにレベルの高い演奏なのに空席があるなんて本当に勿体無い!
体を温めたい人は公園に、心を温めたい人はなぎさホールへ!
ボランティアライター 福岡伸行
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ようやく春めいてきた日にぴったりの、木管五重奏コンサートです。読売日本交響楽団、通称“読響(よみきょう)”が逗子に初お目見えだそうです。
5人のメンバーは皆、首席奏者。若手、中堅、重鎮が集まり、貫禄の演奏が繰り広げられました。と言っても、木管です。室内楽です。春の始まりです。何とも軽やかで、あたたかく、洒脱な雰囲気に包まれた2時間でした。
フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、そしてホルン(金管です)。どれも音色が違うので、音が溶け合うというより、掛け合いながらまとまって響きあう、その呼吸を楽しみます。名曲と言われる4つの組曲の間に、メンバーと楽器の紹介を兼ねたソロステージが5曲という、贅沢な構成でした。
ラヴェルの《クープランの墓 》は、戦死者たちに捧げられた曲ですが、どこかのんびり、落ち着いたアンサンブル。森の奥深くで、死者の魂が軽やかに踊っている雰囲気でした。
イベールの《木管五重奏のための3つの小品》は、まさに軽妙、洒脱、楽しくておしゃれな曲です。草原の朝、クラリネットとオーボエの<リス>の親子が木々を跳ね渡り、フルートの<小鳥>がさえずり、ファゴットの<野ねずみ>が地面をタッタか走り、ホルンの<牛>が低く唸る、そんなイメージが広がりました。
ミヨーの《ルネ王の暖炉》作品205は、映画音楽だけあって、7つの組曲それぞれが絵画的で色彩を感じました。でも、さすがフランス。行進も槍試合も狩りも、そして死さえ重くしない。暗くしない。ベタつかない。軽いのです。明るいのです。心も少し軽くなりました。
平尾貴四男《フルート、オーボエ、クラリネット、ホルンとファゴットのための五重奏曲》は、日本人ならではの叙情性が感じられる曲でした。童謡のような懐かしいメロディから始まり、時に前衛のような味付けが個性的な曲でした。平尾さんは、オーボエの辻さんのお祖父さんだそうです。
アンコールは、CMでもお馴染みのアイルランド民謡《ロンドンデリーの歌》と、ガーシュインのジャズ《アイ・ガット・リズム》。余裕と貫禄の演奏でした。やはり音楽は生で聴くのが一番ですね。
毎日あくせく、余裕のない生活を送っていた自分には、ビタミンドリンクより、ずっと身体に沁みた昼下がりでした。
ボランティアライター 三浦俊哉